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法隆寺

世界遺産

法隆寺
日本・奈良県(飛鳥〜奈良時代)

法隆寺は、世界最古の木造建築(2021年時点で再建1300年)であり、日本で初めての世界文化遺産に指定された建物になります。伽藍として全体が残っていることはすごいことであり、また、使用されている木材はすべてヒノキ材になります。

法隆寺:金堂と五重塔  画像引用:https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1299457

法隆寺は607年(推古15年)に聖徳太子が父・用明天皇のために創建したとされています。しかし、この年代については、各論があり、日本書紀に記されている670年の火災による焼失ののち、再建されたものが現在の法隆寺とされています。
日本書紀に記されている斑鳩寺が、現在の若草伽藍であるといわれています。これは、聖徳太子没後(2021年時点で1400年)であり、法隆寺建立時期のズレがあることから推測することもできますが、そうなると創建時期は670〜700年あたりかということになります。いずれにしても正確なところはまだわかっていません。

聖徳太子は、法隆寺を建立することにより仏教を広めようとしました。

日本において仏教が伝えられたのは「公伝」※1の記録によると、『日本書紀』は552(欽明天皇13)年に、百済の聖明王(聖王)が使いを遣わして仏像、経論、幡蓋を伝えたと記されています。一方で『元興寺縁起』、『上宮聖徳法王帝説』では公伝の年次を538(宣化天皇3)年としています。
※1公伝:公の国家間の伝達を意味しているといわれています。

ここまでの流れを整理して飛鳥時代の出来事を含めて文献を整理してみると次のようになります。

538年:仏教伝来(これまでの日本古来の神と共に外交文化の仏教を受容)
574年:聖徳太子生誕(父は用明天皇)
588年:(崇峻元年) 蘇我馬子により飛鳥寺造営開始
593年:(推古元年)聖徳太子が皇太子として叔母推古天皇の摂政となる
607年:法隆寺(若草伽藍の斑鳩寺)創建
    遣隋使派遣
609年:(推古17年)飛鳥大仏が完成し飛鳥寺に置かれる
622年:聖徳太子没
645年:(大化元年) 大化改新、即位した孝徳天皇が仏教興隆のため寺院造営を援助すると宣言
655年:斉明天皇即位
670年:法隆寺焼失(落雷によるといわれている)
700年頃までに再建、現在の法隆寺
(参考)741年:東大寺建立の流れが始まる(国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔)
金鍾山寺(昇格して大和金光明寺となりこれが東大寺の前身寺院とされる)

調べ出してみたら、史実の深さがハンパなく沼にハマりそうになったのでこれくらいにしておきます。神社と寺院のルーツや出来事はかなり黒歴史もあり、別に整理をしたほうがよさそうです(苦笑

さて、本題に戻りまして法隆寺の建物についてみていきたいと思います。

まず立地についてですが、法隆寺は奈良盆地の西側にある斑鳩の地に位置しています。少し山裾の少し標高の上がった位置にあり、当時であればほかの建物はほどんどなかったはずなので、南側を流れる大和川を船で遡ってくるとはじめに目に入ってきたはずです。

画像引用:奈良旅ネット(奈良県観光公式サイト)

当時の中心地であった飛鳥(奈良盆地の東側)と斑鳩は20kmくらい離れていますが、斑鳩を江蘭殿は、大和川の交通の要所であり、遣隋使の目に入るシンボルにあるからだと考えられています。
次に境内についてですが、西院伽藍(せいいんがらん)と東院伽藍(とういんがらん)の2カ所で構成されています。

画像引用:googleマップ

先程述べたようにはじめの法隆寺は創建から63年後火災で消失、現在の建物は再建されたものになります。では、それぞれみていきましょう。

西院伽藍(中門、回廊、大講堂、五重塔、金堂)、飛鳥様式
飛鳥様式とは、柱にエンタシス(ふくらみ)があり、雲型の組物が使われているなどが特徴になります。これらの特徴については金堂の説明でふれます。

金堂:飛鳥時代、世界最古の木造建築、国宝
平面は、桁行五間・梁間四間となっており、屋根は重層入母屋造り本瓦葺きとなっています。
なお、1間は約1.82m(畳の長手寸法)です。

法隆寺金堂 画像引用:https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1299464

特徴的なのは、裳階(もこし)と呼ばれる庇のような屋根です。これがあるため二層の二階建てのように見えますが実際は一層の建物です。なぜこのようになっているのかというと、どうやら、当初は裳階はついておらず、屋根の先端が構造的にもたなくて後付けしたもののようです。

元の屋根自体も建築的にはとても特徴的で、垂木(たるき)の下に尾垂木(おだるき)があり、その下には雲肘木(くもひじき)と呼ばれる尾垂木を支える雲型の組物(日本最古)があります。この、尾垂木は天秤的な役割となっており、軒先と内側のバランサーとなっています。

しかし、どうやらこの屋根の構造は目論見通りではなかったようで(笑)、創建後まもなく裳階がつけられて補強したと考えられます。雲肘木で支えるにはきつかったのですね。。
また、よくみると屋根の四隅にも柱があります。これもできてすぐつけられたらしく、その後、江戸時代に直された際には龍が追加され今に至ります。(取りたい・・苦笑)

内部には釈迦三尊像(国宝)が安置されています。アルカイックスマイルと呼ばれる微笑の表情をしていますが、この本尊は釈迦の姿だけど聖徳太子自身の姿といわれています。(身長が同じ175cmくらい)その周囲には13体の仏像や釈迦浄土図、阿弥陀浄土図(10円切手で採用されていました)などがあります。

中門(ちゅうもん)
柱がエンタシスになっています。下から1/3あたりが一番太く、上に行くほど細くなり、また、下に行くとまた細くなっています。エンタシスはギリシャ神殿でもみることができます。
柱はよくみると埋め木で補修されています。修繕を重ねながら維持保全されてきていることがわかります。

廻廊
左側の廻廊の梁をみると湾曲してします。これは飛鳥時代の姿のままです。一方で右側の廻廊の方は江戸時代に修理がされた際にまっすぐ形状の梁に変えられています。

廻廊と大講堂 画像引用:https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1299452

五重塔:飛鳥時代、世界最古の木造の塔、国宝
金堂のつぎに建立した塔で、各部の形式は金堂と概ね同じ仕様になっています。塔の形状ですが、上に行くに従って大きさがちょっとずつ小さくなっています。

法隆寺五重塔 画像引用:https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=12223941

東院伽藍(中門、回廊、伝法堂、夢殿)
聖徳太子を祀るために、斑鳩宮(聖徳太子の住居)があった場所に建てられました。西院伽藍よりも後にできた建物になります。

夢殿(ゆめどの):奈良時代、国宝
八角円堂といわれる正八角形の平面形状の仏堂です。屋根は改修されており、照りむくりといわれるそりがわずかに入った形状となっています。

法隆寺夢殿 画像引用:https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1299487

伝法堂:奈良時代、国宝
仏堂ですが、もともとは聖武天皇の橘夫人が使用していた住宅を移築改造した建物であり、現存する奈良時代以前の古代貴族の住宅としてはこの建物のみと言われています。

 

 

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