姫路城
日本・兵庫県(1617年) 国宝
国宝である姫路城は平成5年に奈良の法隆寺とともに、日本で初の世界文化遺産となりました。
シラサギが羽を広げたような優美な姿から「白鷺城」の愛称で親しまれており、白漆喰総塗籠造りの鮮やかな白の城壁や5層7階の大天守と東、西、乾の小天守が渡櫓で連結された連立式天守が特徴です。
姫路城の歴史は古くさかのぼり、初めは鎌倉時代のおわりである1333年に砦として築かれたと言われています。その後、1346年に赤松貞範が築いたと言われています。
1580年には羽柴秀吉が姫路城の城主となり、天守をもつ石垣作りの城を築き城下町をつくりました。
秀吉の死後、1600年に池田輝政が城主となり、1609年には現在の姿の元となる城の増強改修により、外壁が白くなったと言われています。
(その後、1617年に本多忠政が城主となり、三の丸、西の丸などを増築)
姫路城は近世における城郭建築の代表作と言われており、また、江戸城と同時期に建築され同じような特徴を多く持っていることから、時代劇などにおいてもよく撮影ロケでも使われています。
立地においては、姫山の小高い山上に建てられておりいわゆる平山城(ひらやまじろ)となっています。また、周囲には石垣がありますが、新しく作られた白っぽい石垣と野面積み(自然の意思をそのまま積み上げた石、戦国時代によく見られる)の石垣もみることができます。
石垣の周囲には堀がありますが、堀の形が螺旋型になっており特徴的です。これを江戸城でも真似たとも言われています。螺旋型の利点は敵を挟み撃ちできることや、堀を延長していけることなどです(江戸城は実際に伸ばしています)。
天守閣は、大天守の周りに小天守が3つありこれらを渡櫓(わたりやぐら)で行き来できるようになっています。この構成を連立式天守といい、江戸城も同じ構造になっています。
全ての壁や塀が当時主流であった板(黒)でなく漆喰(白)としていますが、これも江戸城と同じ仕様です。なお、漆喰とすることで防火性があり、第二次世界大戦中の空襲においても焼けずに残りました。
屋根においては、入母屋造り・比翼入母屋造り・千鳥破風・唐破風などさまざまな形状を見ることができます。屋根のバリエーションの豊かさが白さと共に白鷺のように見えることから、白鷺城とも呼ばれています。