Browse Month: 5月 2015

日本の集合住宅の系譜

日本では関東大震災以降、同潤会の設立にはじまり現在の集合住宅のおもな流れが系譜としてあります。
これたの歴史の中でRC造による耐震耐火の取り組みや、工業化の設計手法や部材等の規格化なども取り組まれてきました。
講義用に主だった建物の系譜を作成しましたので掲載します。
なお、まだ概要程度となっており、改訂をしながら仕上げていきたいと思いますのでご了承下さい。

日本集合住宅年表 001

日本集合住宅年表 002

開智学校

開智学校(重要文化財)
長野県(1876年)
設計:立石清重

Kaichi01 S tomokazu

写真撮影:@S_tomokazu 2015年5月

この時代(明治初期)までの学校校舎としてはお寺のお堂などを使っていました。いわゆる寺子屋といえます。
文明開化の時代を受け、棟梁であった立石清重が洋風建築を東京で学び設計施工した建築です。
伝統的な和風のデザインに洋風スタイルを取り入れた擬洋風建築となっていますが、外観の形状には次のような特徴があります。屋根に突き出した八角形の塔屋や車寄せの唐破風などにより構成される瓦屋根となっています。
壁は木造下地の上に漆喰にて仕上げられています。エントランス部分は車寄せとなっており、その上部にはエンジェルの彫刻が施されています。また、バルコニー下には竜の彫刻があり、独特な正面ファサードとなっています。

640px Former Kaichi School03 1024

写真引用:ウィキペディア

当時、ギヤマンと呼ばれる色ガラス製品も流通しはじめており、開智学校でも取り入れられていることにより「ギヤマン校舎」と呼ばれたりしています。
なお、開智学校とは日本最初の学校制度である教育法令の序文にある「智を開き才芸を長する」からネーミングされています。
この開智学校が取り上げられるのは、その後の小学校建築に多大な影響を与えたからです。

ハーレン・ジードルンク

ハーレン・ジードルンク
スイス・ベルン(1961年)
設計:アトリエ5

1024px Halen 002

写真引用:en_Wikipedia

郊外に立地した低層集合住宅です。敷地面積は25000㎡あり、住戸は75戸にて構成されています。

南向きの傾斜面に計画されたテラスハウス(約200人が入居)となっており、公共施設等が含まれているほか広場、ガソリンスタンドなど一通りそろっています。

800px Thalmatt 1 005

写真引用:en_Wikipedia

設計者のアトリエ5のメンバーはル・コルビュジエの設計したユニテダビタシオンの影響を受けているといわれています。
平面計画をみると間口がユニテダビタシオンとおなじ寸法となっており、ユニテダビタシオンを横倒しにしてテラスハウスとして再構成しようとしたともいわれています。
建築家6人にて協同で土地を購入にして建築をしているあたりに思い入れの深さが感じられます。

800px Halen 015

写真引用:de_Wikipedia

低​層​集​合​住​宅​の​新​し​い​方​向​を​示​し​た​建築であり​、​江戸川アパートにみられる生涯を過ごすことのできるアパートとしたコンセプトなど、日​本​の​同​潤​会​ア​パ​ー​ト​や​公​団​住​宅​に​も​影​響​を​与​え​た​作​品​であると考えられます。

東京駅丸の内駅舎

東京駅丸の内駅舎(1914年、東京都)
設計者:辰野金吾
創建時は中央停車場という名称で、日本の第一世代の建築家である辰野金吾*1)により設計された駅舎です。
赤煉瓦を基調として縦横に白い石のラインを入れたデザインは辰野式と呼ばれています。
第二次世界大戦の空襲にて丸みお帯びたドームなどが損傷し、多角錐型のドーム形状にて修復されました。

Tokyo Station original shape

創建時の東京駅
写真引用:ウィキペディア

1920px JR Tokyo sta 001

現在の東京駅
写真引用:ウィキペディア

2012 11 05 11 17 19

塔部の写真
写真:サイト管理者撮影2012年11月

大手町・丸の内・有楽町地区特例容積率適用地区*2)の制度を適用して2012年に復元修復され、この際にドームの形状も当初の丸みを帯びた形状に復元されました。オーセンティシティ*3)に沿った保存再生といえます。

日本国内では最大級の免震レトロフィットによる耐震対策が施されています。

*1)辰野金吾
工部大学校(現在の東京大学)で御雇外国人建築家として招かれたジョサイア・コンドルが建築家という職能を成立させていったのが日本の建築家の職能のはじまりです。この時に初めて学んだ日本人の中でも有名なのが次のようなひとたちです。日本の建築家の祖といわれることもあります。
ジョサイア・コンドルに学んだひと(英国の流れ)
辰野金吾
片山東熊
ドイツで学んだひと
妻木頼黄

<参考記事>
日本の近代建築設計者の系譜

*2)特例容積率適用地区
指定された区域内で、容積率の一部を建築敷地間で移転することができる。
(一般的な容積率の移転と違うのは隣接敷地間でなくても区域内であればよいという点)

*3)オーセンティシティ
遺産の歴史的価値の判断指標の一つです。「真実性」と解される概念であり、世界文化遺産登録の際には、このオーセンティシティが重要視されます。

日本の近代建築設計者の系譜

ここ数回講義で日本における近代建築の設計者の系譜について触れる機会がありましたので、ざっくりですが資料を作りました。講義を聴講した方々に配布するようなのですが、せっかくなので公開したいと思います。ただし、まだ概要程度となっており、改訂をしていく予定ですのでご了承下さい。

建築設計者系譜ver 1

明治以降の日本の建築は、おおきくふたつの潮流があると考えられます。

ひとつは大工、棟梁を主体とした建築の流れです。大きな枠組みとしては律令制の時代の中で、領主や一家の主などが権限を持つ社会における身分、階級による建物の仕様に基づき建築されてきました。そして、実際の設計や工事は大工や棟梁を主体として建築されてきたと考えられます。現在ではその流れは主に木造住宅建築の世界で工務店を主体とした建築の流れの中に見受けられます。そのために、設計というものに対しての理解が深まらないという側面も否めないといえます。

もうひとつが、明治以降の設計者の登場による建築設計の潮流です。工部大学校(現在の東京大学)に英国から招聘されたジョサイア・コンドルより建築を学んだ辰野金吾、片山東熊、曽禰 達蔵(そね たつぞう)などのほか、ドイツで建築を学んだ妻木頼黄といった日本人の設計者の登場による近代建築の系譜がはじまります。
また、近代建築の三大巨匠であるル・コルビュジェの弟子である坂倉準三、前川國男、吉阪隆正や、同じく三大巨匠のフランク・ロイド・ライトの弟子であるアントニン・レーモントの系譜にて吉村順三といった日本人の建築家が次々と活躍の場を広げていきました。

このような大きく2つの潮流の中で日本の建築の世界は広く世界にも認知され、多くの世界的なネームバリューを持つ建築家を輩出しています。
ちなみに建築のノーベル賞といわれるプリッカー賞は現在下記の6名の方が受賞されています。
丹下健三
槇文彦
安藤忠雄
伊東豊雄
SANNA(妹島和世+西沢立衛)
坂茂


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